- 2023-12-15
- 日記的備忘録
当時のウィーンは、大戦中にロシア軍が一部を占領していたガリツィア(現在のウクライナ西部)からの難民の他、大戦末期になると、帝国軍の元兵士が一時的ではあれ、市内に定住していた。その多くが戦時債券を購入していた中産階級も、大戦終了に伴い紙屑同然となったため、ハイパーインフレーションも相俟って貧困層に転落。また、数世紀にわたり市内に食料を供給していた近隣地域の独立に伴い、食料不足が表面化した。住宅難も深刻で、結核やスペイン風邪、梅毒が一気に蔓延することとなった。
一般施策
第一共和国はカール・レンナー保革連合政権で幕を開けたが、同政権は共和国成立からたった一週間後に、8時間労働制を導入。その後、雇用保険制度や「労働評議会」と呼ばれる労働者による公的な合議機関が発足した。しかし、一連の改革に対する熱意は、第一次世界大戦終結から時が経つに従い、連合政権の一翼を担っていた保守のキリスト教社会党内で次第に小さくなっていった。こうして1920年には連合政権が崩壊、社会民主党はこれ以後1945年まで、連邦レベルでは野党乃至は地下活動を余儀なくされた。
だが、1919年の選挙で社会民主党が絶対多数を得たウィーンでは、同党による統治が続いた。同党はウィーンを社会民主主義政治の輝ける例とすることを目標に掲げており、実際に当時の施策はヨーロッパ全体からしても際立ったものであった。国内の保守派はこうした政治風土を嫌う傾向があったものの、ウィーンにおける社会民主党の成功に対し、当面はなす術が無かった。ジョン・ガンサーもこの時期の市政について、「ウィーンでは社会主義者が注目に値する統治を行っており、世界で最も成功した自治体にしたのではないか。(中略)ウィーンの社会主義者による功績は、戦後の欧州各国で最も活力に満ち溢れた社会主義運動であった」と述べている。
私が思うに・・・欧州、少なくともドイツ(ワイマール共和政)・オーストリア(赤いウィーン)に於いては、それ以前の絶対王政・議会制帝政を経て共和制となり、勃興する資本家工業化の環境下でマルクスやその影響を受けた思想家・実践家らによる理論的支柱を得た左派政権が労働者視点での政治を行って、一定の成功を収めた・・・ということではなかろうか?
一方で当時のドイツは第一次大戦敗戦のツケでヴェルサイユ体制による過酷な賠償金を課せられており、労働者視点での民主的・福祉的な施策が必ずしも大衆・労働者、そして資本家にも満足を与えるには至らず・・・ポピュリズム的ナチスの台頭を許してしまったということなのであろう。オーストリアはドイツとは微妙に異なるが、大きな文脈ではそういうことなのであろう。ヒトラーによる「併合:Anschluss」を大衆は概ねに於いて歓迎したのだから・・・
日本では、徳川三百年の泰平の後、明治時代となりその後・・・今日までの歴史の中で、社会民主主義(Sozialdemokratisch)勢力が、ワイマール共和政にように憲法レベルまで落とし込んで国民に支持されたという歴史が欠落している。欠落と言えばネガティブだが、少なくともそういう経験値が国民の記憶レベルに無い。今日の日本の真ん中よりリベラル寄りの政党が力をほぼ完全に失って見えるのはそういう背景もあると思われる。
要は、社会民主主義が政権を握った時代について「あの時代・あの体制はよかった」というそれなりのポジティブ実体験の記憶が国民の DNAに刷り込まれているかどうか・・・その前提を抜きにして日本は、欧州はという単純な比較論は成り立たないように思う。
↑↑左は共同洗濯場に関する解説・右は共同浴場・・・というかシャワールームですね・・・に関する解説
シャワールームに一等・二等があったということなんですかね?この時期にしてはちょっと謎・・・社会民主主義において特権階級がいたことの反映なら、そりゃなんだかなあ・・・でも、特権階級はそもそもこんなところに来ないよね(笑)・・・ということで、謎(笑)
↑↑着替え時間を含めて1時間ですよ、それを超えたら新たにチケットを買ってちょうだいね
↓↓ARBEITERHEIM・・・何故 ARBEITERSHEIMとならないのか?独語に詳しい人、教えて(笑)まあ、コミュニティルーム的な場所だったんだろう。
この向こうが当時のアイテムの展示室になっている。いきなり↓↓これが・・・「Proletarier aller Länder, vereinigt Euch!:万国の労働者、団結せよ!」
全く別の話だけれど、その昔・・・ヨーロッパの市場に自分がデビューした当初、業界人が集まるコンファレンスで「Marketing Managers aller Länder, vereinigt Euch!:万国のマーケティングマネージャー達、団結せよ!」とやってバカ受けしたことがある(笑)
その前段ではマルクスの「共産党宣言」の冒頭「ヨーロッパに幽霊が出る―共産主義という幽霊である」を「ヨーロッパに幽霊がでる―コニカミノルタのインクジェットヘッドという幽霊である―それは幽霊ではなく真実らしい」とやって超バカ受けした(笑)
更に更にそれに続くフレーズ・・・「旧ヨーロッパのあらゆる権力が、この妖怪にたいする神聖な討伐の同盟をむすんでいる。法王とツァーリ、メッテルニヒとギゾー、フランスの急進派とドイツの官憲も」・・・というあたりを競合他社の名前に置き換えて超バカバカ受けした(爆)業界の同年代の連中は、やはり学生時代に同じような本を読んできたということだろうし、おお、お前もそういう本を読んでいたんだな?ということで、一気にアジア人としてのガラスの壁が破れたように思う。