ドイツ放浪記(91):プラハからウィーンへ

さて、今日はプラハからウィーンまで鉄道移動。ホテルの最寄駅から地下鉄を2路線乗り継いで中央駅に・・・

中央駅では自分が乗る列車が何番線に入ってくるかは事前には決まっていないので、電光掲示板とにらめっこ・・・ドイツなどは事前に一応決まっているが、しばしば変更もあるのでやはり電光掲示板で要確認。

中央駅周辺を再現したレゴの模型

米国第28代大統領のウッドロウ・ウィルソン(1856-1926)のレリーフ。駅前には銅像もある。

1918年にオーストリア=ハンガリー王政が崩壊した後、チェコスロバキアを含むヨーロッパの独立国家が次々と誕生した。当時のアメリカ大統領トーマス・ウッドロー・ウィルソンは、後のチェコスロバキア大統領トマーシュ・ガリーグ・マサリクの外交努力を支援し、亡命中のマサリク政権を承認するなど、新共和国の設立に重要な役割を果たした。

ウッドロー・ウィルソンは、このことでチェコスロバキアを高く評価していた。第一次世界大戦後、プラハの主要鉄道駅はウィルソン駅(Wilsonovo nádraží)と命名され、正面玄関の真正面にはアメリカ大統領の実物大のブロンズ像が建てられた。

この銅像はチェコ・スロバキア出身のアメリカ人から贈られたもので、1928年7月4日、チェコスロバキア建国10周年記念式典の一環として除幕式が行われた。この彫刻は、チェコ系アメリカ人の彫刻家アルビン・ポラーシェクによって制作された。チェコスロバキアのトマーシュ・ガリーグ・マサリク大統領臨席のもとで行われた除幕式では、アメリカ特使としてアルバート・アインシュタインが式典スピーチを行い、「この記念碑は、チェコスロバキア共和国の独立と永遠に結びつくであろうアメリカ大統領ウィルソンの思い出にふさわしい賛辞である」と述べた。

1941年12月にドイツがアメリカに宣戦布告した直後、ラインハルト・ハイドリヒ大ナチス親衛隊総司令官はこの像の破壊を命じた。 撤去は1941年12月12日の夜に行われ、「ここにはウィルソン記念館があったが、大ナチス親衛隊総司令官ハイドリヒ親衛隊副総司令官の命令で取り壊された」と刻まれたプレートが建てられた。

ドイツ当局はウィルソン駅をハウプトバーンホフ駅に改名した。第二次世界大戦後、再びウィルソン・バーンホフ駅と呼ばれるようになったが、それは1953年に再び改名されるまでのことだった。

列車はブルノ(Brno)を通り、オーストリアへの国境の街 ブルジェツラフ(Břeclav)を経由してウィーンの旧南駅・現中央駅に到達する。

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