チェコスロバキアの二つの硬貨 (前編)

この週末に長男家族がやってきまして・・・小学校三年生の孫の好奇心を満たすために、かつてドイツ駐在や出張の際に端数として持ち帰った各国の硬貨をきれいに洗って、どんな国なのかを説明したり、今はユーロになってこういうのは無くなってしまった話などをしました。一応、駐在時代に各国のコインは専用のコレクションアルバムに整理したのですが、それに収まり切れないものが山とあるのです。しかし・・・それをチェックしていたら、いくつか面白いものが見つかりました。今回はその一つ・・・の前編です。

下の写真をご覧ください。左は 1938年のもので、チェコスロバキア共和国(Československá republika)という刻印が見えます。左は 1989年のもので、チェコスロバキア社会主義共和国(Československá socialistická republika)という刻印が見えます。しかし・・・この二つの年は、政治体制こそ異なっていましたが、いずれもこの国にとって大変な出来事があった年なのです。

1938年・・・当時のナチスドイツは着々と領土を拡大していく途上にありました。

1938年 3月 12日に、同じドイツ語を母語話とするオーストリアを併合(アンシュルス Anschluss)し、次に手を伸ばしたのは当時のチェコスロバキア共和国のドイツ系住民が多く住んでいた周縁部のズデーテン地方でした。右の地図で緑に塗られた部分ですが、ここはチェコスロバキア共和国の領土の内でした。

そもそもこのあたりは神聖ローマ帝国以来、ドイツ系住民が多く住んでいましたが、ヒトラーはこれを利用します。

ヒトラーは彼らに「ドイツ本国から大々的な支援を送り、自治運動を展開させた。さらに宣伝機関によって『圧迫されているズデーテンのドイツ人』という宣伝を国内に流し、ドイツ世論をも勢いづけた」(Wikipedia)と煽ります。

ん?この手口・・・プーチンがウクライナ東部の親ロシア系住民を煽って分離独立運動をさせたり、『圧迫されている東部のロシア系住民』を解放する・・・というロジックと瓜二つですね!プーチンはウクライナのセレンスキー大統領をネオナチと呼んで非難していますが、彼こそヒトラーそのものです。枕元にはスターリンとヒトラーの肖像画を並べて拝んでいるのではないでしょうか?・・・知らんけど(笑)

もちろん、チェコスロバキア共和国のベネシュ大統領は抵抗しますが、それに対し・・・「ヒトラーは戦術を転換し、チェコのベネシュ大統領個人を、『ドイツとチェコの障害になっているのはドイツ人の民族自決権を認めようとしないチェコ側の態度であるとした恫喝的演説を繰り返した。さらに、「事態をこのまま放置しておけばヨーロッパ中がチェコの頑迷の巻き添えを喰らうことになる」などと、ラジオと映画をフルに使って恐怖を煽り立てた。そのためズデーテン危機は欧州の重要な問題となり、ヒトラーが対チェコスロバキア宣戦を行うという観測が強まった。」(上記 Wikipedia)という動きをします。セレンスキー大統領を悪者にする手口と全く同じです。歴史は繰り返す・・・のか?

この時、第一次大戦での戦勝国(ドイツは敗戦国)、中でも英国のチェンバレン首相は宥和政策を採り「戦争回避のため、恐喝すれば妥協する」とヒトラーに見透かされており、ミュンヘン会談で「ヒトラーの要求はほぼ完全に通り、チェコスロバキアはズデーテン全域を10月10日までにドイツに明け渡すことが決まった」のです。ベネシュ大統領は亡命します。そして翌年には、それに飽き足らずチェコスロバキア共和国を解体し、全土をドイツの「保護領(Pritektrat)」としてしまうのです。プーチンも東部2州の先には当然ウクライナ全土を併合してしまうという野望があるはずです。

歴史は繰り返す?・・・いや、繰り返さないのは、セレンスキーは亡命せず徹底抗戦し、米国と西側諸国は第一次大戦の戦勝国のようにズデーテン地方を「売って」妥協するようなことをせず、結束して「プットラー(Putler:Putinと Hitlerを併せた造語)」に立ち向かっていることです・・・少なくとも表面上は・・・。プットラーも、何かシナリオが違うぞ?と内心穏やかではないはず・・・

・・・ということで、上の写真の左側の硬貨に刻印された 1938年というのはチェコスロバキア共和国(Československá republika)が存在した最後の年のものということになるのです。

次回は後半、右の硬貨「チェコスロバキア社会主義共和国(Československá socialistická republika)」の1989年について書きます。こちらは先日亡くなったゴルバチョフ元ソ連書記長と密接な関係があるのです。

PS:しかし・・・何故、私の手許にこの歴史的な 1938年のチェコスロバキア共和国の硬貨があるのでしょうか?この時の時代背景を知って意図的に集めたり、古銭商で買ったものではありません。ユーロが導入される前のヨーロッパは、各国それぞれの通貨が流通していたので、たまにサイズが似た別の国の(もっと価値の低い)硬貨を釣銭に混ぜるという詐欺に遭います。(日本の 500円硬貨と韓国の 500ウォン硬貨のサイズが酷似していて自販機で使えた・・・ようなものです)

これは想像というか妄想に近いのですが・・・1938年、ドイツに併合されてしまうという流れができて、最早それは避けられないと覚悟を決めたチェコスロバキア共和国の大統領か財務大臣が、「1938年にはチェコスロバキア共和国が存在した証」として硬貨を大量に鋳造し、それが生き残る確率を増やして、後世の収集家によってそれを語り継がれるようにと考えた・・・のでは?知らんけど(笑)・・・もしそうだったとしたら、私は微力ながら、ここでその役目を果たしたのかもしれません。

今、ウクライナでは今年の硬貨が大量に鋳造されていたりするのでしょうか・・・?

チェコスロバキアの二つの硬貨 (後編)に続きます

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