国境あちらこちら(24):ドイツ・チェコ国境 ヘブ(Cheb)

ミュンヘンから鉄道でチェコに入るには「ヘブ((Cheb)」という国境駅を経由するのが一般的です。チェコの周縁部にあり、かつてはズデーテンランド(Sudetenland)と呼ばれドイツ系住民が多く住んでおり、ヒトラーがドイツに割譲させた地域にあります。ドイツ名では「エーガー Eger」と呼ばれます。

1994年、まだ日本人はビザが必要だった時代、それを知らないでミュンヘンから夜行列車に乗り、この駅で国境係官に見つかりドイツに強制送還されたことがあります。

【国境駅にて:入国拒否】(当時の旅行記)

1998年にビザをちゃんと取得してリベンジ入国を果たして Chebの駅前にて万歳(笑)

薄暗い駅だった。駅名も案内の看板も、なにやら直感的に理解できないスラブ系の言葉で書いてあり、駅の薄暗さとあいまっていよいよ東に来たんだという気分が盛り上がる。「ドイツに出稼ぎ週末チェコに里帰り族」らしいおじさん達がぞろぞろと出口のほうに歩いて行く。出迎えだろうか、待合室には深夜だというのに結構人影が見える。大きなワゴンを押したビール売りがゆっくり歩いている。垢抜けない制服を着た警官と税関係官が数人ホームに立ち、あちらこちらに目配りしている。

車両の通路の端の方から「パスポルト」と声がし、コンパートメントのドアがガラガラと開けられる音が近づいてくる。私はと言えば、既にドアを開けて半身で通路に乗り出し、パスポートの写真のページを開き、財布を取り出しわざとマルク紙幣が少しはみでるようにする。「ビザがない」と言われる前に、「ビザを発行して下さい。いくらですか?」と先手を取るべく小声でドイツ語をブツブツと繰り返して万全の体勢で身構える。

やがて前に現れた国境警官はは私のパスポートを取り上げ、パラパラとめくって私の顔と見比べる。何度かパラパラとやっているのはビザのスタンプを探しているのだ。腰には拳銃が下げられている。しばらくカサカサというパスポートをめくる乾いた音だけの重い沈黙。作戦通り「ビザを下さい。いくらですか?」と片手を突っ込んだ財布を大げさに前に突き出して言ってみる。係官は一切取り合わない。そして「ビザが有りませんね。ビザがないと入国できません。荷物を纏めて降りるように。」と事務的に指示する。

学生が「ここでビザは取れないの?」とサポートを入れてくれるが「ナイン」の一言。いろいろ考えてきたネゴトークを切り出す雰囲気もない。研修で習ったネゴシエーションスキルも、相手が交渉に応じるつもりがそもそもない場合には全く無力であるな・・と変なことに感心する。コンパートの隅にいた相棒も「こりゃどうも駄目みたいですね」と目で言って荷物を纏め始める。「残念だね」と学生が肩をすくめてみせた。

ホームを警官に連れられて歩いていくというのは事情はどうあれ「罪人風」ではある。停車中の列車の窓から珍しそうに何人かの野次馬がこちらを見ている。我々の前にもドイツ人っぽい男とトルコ系かアラブ系の顔をした女の一組がやはり「罪人風」に警官に連れられて歩いている。「だいたい日本人なんてのはそもそも悪い事なんかする奴いないんだしさ、そんな度胸もないしさ、観光で金落とす有難い存在ばっかなんだから、どんどん入れればいいのにな。わかってないな、そのへんが。これじゃ駄目だよね」と相棒とブツブツ。

通された所は、これもまた薄暗いガランとした部屋で、掲示板に変色した印刷物が何枚か貼ってあるだけの無味乾燥な待合室だった。ここで警官達は「1時間後にドイツ行きの列車が来るのでそれに乗るように。切符は向こうの国境の駅までは要らない。パスポートは乗るときに返す」と事務的に説明して、ドアの向こうの控え室に入っていってしまった。ドアはオートロックでこちらからは開かない。東西の壁のあった共産主義時代はもっと少しヤバかったんだろうな、裁判かなんか有ったり、スパイ扱いされたりして拘留されたり・・・それと比べると、ま、いいか。事務的、淡々とした入国拒否ではあった。

 

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