カテゴリー:日記的備忘録
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ドイツの大晦日の定番テレビ番組
ドイツ🇩🇪オタク限定ネタですが、ドイツ人と仕事する機会のある人は知っておいて損はないです。 ドイツの大晦日のテレビ番組の超定番「Dinner for one」、認知症気味の金…詳細を見る -
ドイツ放浪記(110):ミラノから「飯テロ」(笑)
ミラノは基本的にホテルから展示会通いの毎日で、特に観光や趣味の深掘りをする余裕はありません・・・ということで、食い物の画像をこれでもかとアップしておきます。飯テロだ(笑) ホテルの朝食は高いので、すぐ隣のカ…詳細を見る -
ドイツ放浪記(109):ウィーンからミラノへ
さて、いよいよウィーンを離れ、今回の旅程で最後の展示会開催地のミラノに向かう。夜行寝台「NJ233(Nightjet 233)7」は 19:18にウィーン中央駅発、ミラノ・ロゴレード(Rogoredo)駅に翌朝 …詳細を見る -
ドイツ放浪記(108):ウィーンの街歩き(16)
右手奥にカール・マルクス・ホーフの壁面が見えているが、ここはホーフの裏手にあたり左手にはハイリゲンシュタット駅がある。このインビス(立ち食いスタンド)も「中・東欧の二大大衆食」であるケバプとピザ屋である。 …詳細を見る -
ドイツ放浪記(107):ウィーンの街歩き(15)
3階にも展示室があるが、ここは社会民主主義者の「Hall of Fame」みたいな感じで(違)当時活躍した知名な政治家や理論家達の像が展示されている。下のサムネイルをクリックしスライドショーとなったところで最初か…詳細を見る -
ドイツ放浪記(106):ウィーンの街歩き(14)
引き続き展示物の写真をアップしておく。「万国の労働者、団結せよ!」・・・1848年に出版されたマルクスとエンゲルスによる「共産党宣言」の最後のアピール文! 「我々は来るべき世界の建設者だ!」 …詳細を見る -
ドイツ放浪記(105):ウィーンの街歩き(13)
当時のウィーンは、大戦中にロシア軍が一部を占領していたガリツィア(現在のウクライナ西部)からの難民の他、大戦末期になると、帝国軍の元兵士が一時的ではあれ、市内に定住していた。その多くが戦時債券を購入してい…詳細を見る -
ドイツ放浪記(104):ウィーンの街歩き(12)
カール・マルクス・ホーフの裏手には鉄道のハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)駅がある。あの大作曲家ベートーヴェンが夏になるとウィーンの郊外で過ごした場所で、交響曲第6番「田園」はそのあたりの情景描写…詳細を見る -
ドイツ放浪記(103):ウィーンの街歩き(11)
なんともインパクトのある建物である。独語 Wikipediaの一部を翻訳引用しておく。「1919年から1934年までウィーンを支配した社会民主党は、その住宅政策によって、一般的な住宅不足に終止符を打とうとした。1…詳細を見る -
ドイツ放浪記(102):ウィーンの街歩き(10)
お、遠くに何か見えるぞ・・・ おお、結構巨大な建物だ! おおお、「カール・マルクス・ホーフ」だって?ここは社会主義圏か?なんだろう!・・・なんてね(笑)ここまでの伏線でお分かりと思いま…詳細を見る