ドイツ放浪記(102):ウィーンの街歩き(10)

お、遠くに何か見えるぞ・・・

おお、結構巨大な建物だ!

おおお、「カール・マルクス・ホーフ」だって?ここは社会主義圏か?なんだろう!・・・なんてね(笑)ここまでの伏線でお分かりと思いますが「フリードリッヒ・エンゲルス」とくれば「カール・マルクス」・・・その名を冠した労働者向け集合住宅で、他のこの手の建物と同じく社会主義政党が政権を握った「赤いウィーン」と呼ばれる時代(ドイツのワイマール共和政に対応)に盛んに建設された数多くのものの代表格。

日本語 Wikipediaを引用しておくと「カール・マルクス・ホーフ(Karl-Marx-Hof)はウィーン19区にある集合住宅カール・エーン英語版の設計により1926-30年に建設され、表現主義的な造形で知られる。名称は思想家カール・マルクスに因む

第一次世界大戦の敗戦、ハプスブルク帝国の崩壊を経たウィーンでは、社会民主党が政権を握った(赤いウィーン)。旧帝国官吏の流入や戦後の結婚ブームにより世帯数が増加し、住宅難が深刻となったため、失業対策も兼ねて大量の市営住宅建設が計画された。1923年に15棟の集合住宅が完成し、以後、1924年から34年(社会民主党政権崩壊)までに384棟、61,175戸の集合住宅が建設された

その中で最も有名なカール・マルクス・ホーフは、ベートーヴェンの家やホイリゲ(ワイン酒場)で知られるハイリゲンシュタットの駅前にある。ドナウ運河近くの鉄道に沿った複数の街区にまたがり、全長1.2 kmに及ぶ巨大な建造物である。「赤いウィーン」の記念碑的作品と言われ、戸数は1382、中庭を囲む形式の集合住宅である

駅に面した中央部分のファサードは4つのアーチとその上に立つ塔が特徴的で、表現主義的と評される。アーチをくぐった先は公園になっている。公園側のアーチ頂部には4つの彫刻が置かれており、それぞれ衛生・解放・教育・福祉を表している。各住戸は平均50 m2ほどで狭いが、敷地内に共同の浴場、洗濯場、保育園、スポーツ場などがある

設計者のカール・エーン(Karl Ehn)はウィーン市役所の建築家でオットー・ワーグナーの教え子である。中庭形式のプランは多くの市営住宅で採用され、ワーグナーによるウィーン22区のための都市計画案(1911年)の影響が見られる

1934年、社会民主党政権が崩壊し、内乱状態(2月内乱)になると、武装した労働者が籠城したが、オーストリア軍によって鎮圧された。その後、ハイリゲンシュタッター・ホーフと改名された[8]が、現在は元の名称に戻っている。」

写真をたくさん撮ったので、次回・次々回もこの項目を続けます。

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