カテゴリー:ブログ
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三十年前のドイツ(6):東西ドイツ国境の画像-その3- エルベ川に沿って
さて、北の端から東西ドイツ国境に沿って南下してくると、Launenburg(ラウエンブルグ)という町でエルベ川に出会います。ここから Schnackenburg(シュナッケンブルグ)まで、約100kmに亘ってエルベ川が東…詳細を見る -
三十年前のドイツ(5):東西ドイツ国境の画像 -その2- 東西国境らしい風景
湖の岸辺だけが西独領という不思議な国境から少し南に下ったところに、東西国境では最も北にある Schlutup国境検問所があります。勿論ビザを持っていないと東独には入れないので、手前に車を止めて、おっかなびっくり少しだけ踏…詳細を見る -
三十年前のドイツ(4):東西ドイツ国境の画像 -その1- 最北の国境線
日本にいると「物理的存在としての国境」を見ることはありません。従って初めてベルリンの壁を見た時には衝撃でしたが、それは東西ドイツ国境も同じこと。最初の駐在地はハンブルクでしたが、日本からの来客があると「リューベックという…詳細を見る -
三十年前のドイツ(3):東西ドイツ国境の構造
東西ドイツ国境やベルリンの壁は、単なる金網のフェンスやコンクリートの壁だけで成り立っているほど単純なものではありません。その背後には何重にも逃亡者を阻止する仕掛けが張り巡らされていたのです。 下の動画はベルリンの壁…詳細を見る -
三十年前のドイツ(2):そもそも東西ドイツ国境とは?
まずは、東西ドイツの分割とはどういうものかを確認しておきましょう。ベルリンの壁が構築されたのは1961年8月、私が小学校2年生の時です。ディズニー映画を見に行った映画館で、映画に先立って放映されたモノクロのニュース映画で…詳細を見る -
三十年前のドイツ(1):Deutschland vor dreißig Jahren
私が初めてドイツのハンブルグに赴任した1981年、ドイツの公共放送 ARD(Allgemeine Deutsche Fernsehen:ドイツの NHKのようなもの)で「Vor vierzig Jahren 四十年前」と…詳細を見る -
お気に入りのホテル(7):BLUE(Nijmegen)
シリーズ7回目は、オランダの Nijmegenという街にある BLUEというホテルです。駅から徒歩で10分以内、いつもスーツケースを転がして歩いて行きます。オランダによくあるレンガ造りの建物をリフォームしてホテルに仕立て…詳細を見る -
日本航空 JAL関連の記事にまつわる残念な話
さて、 JALのアップグレード案件は決着をみましたが、実は今回、私が想定もしていなかった事象が起こりました。くだらないと匿名メールが来るだろうな・・・くらいのことはある程度は想定内でしたが、「それではないのです」というこ…詳細を見る -
日本航空 JAL:あり得ないほどの残念な顧客対応について (結末)
さて、本件の結末をご報告します。なお、下記する理由で本シリーズの(1)~(4)は「お蔵入り」させますので簡単に経緯をサマリーしておきます。 バルセロナからヘルシンキ乗継ぎで成田帰国する際に、空席があればアップグレー…詳細を見る -
夏にテラスで呑むワイン
我が家の2階のベランダが錆びて流石に寿命かなと判断し、この春にプチリフォームをしてアルミ製のものに取り換え、更に四畳半ほど拡張してテラスを設置してみました。今年は梅雨が長引き、まだ十分に活躍できてはいないのですが、まあ時…詳細を見る